どうも〜こんにちは。
満月です🌕
更新頻度遅めながらゆる〜く当ブログを細々と続けさせていただいてますので、本日は満月こと私めのプロフィールについて書かせていただこうかなと思います。
少しでも共通点のある方との繋がりが持てたら嬉しいなと思っています。
満月のプロフィール
簡単に満月の自分年表を
時期 | 出来事 |
1993年 | 満月家長男として浜松の地に爆誕 |
2000年 | 両親が離婚する。母親の実家の近くへ引っ越す。 |
2006年 | 地元でも有名な不良が多い底辺公立中学校へ入学。 |
2011年 | ネトスマへの出会い。 |
2012年 | 工業高校卒業とともに某自動車グループ会社に就職する。→愛知県へ引っ越す。 |
2013年 | ぱちんこへの出会い。 |
2014年 | パチンコの収支が−50万円に到達し、いよいよヤバいと奮起する。 |
2015年 | 期待値という考え方を知り、パチンコへの勝ち方を徹底研究。→満月、兼業パチプロ家へ。 |
2017年 | パチンコのトータル収支が+200万円を突破する。預貯金額が200万円になる。 資金に余裕ができたので会社寮を出て、名古屋で一人暮らしを始める。@天白区 |
2018年 | 満月、FPを知り、自己研鑽に励む。 転職を決意し、FP二級、宅建士、賃管士の資格を一挙に取る凄まじい集中力を発揮。 |
2019年 | 不動産会社への転職をする。 紆余曲折あり、2社ほど転退職を繰り返す。 |
2020年 | 転職先で開花し、今までの約2倍の年収UPを果たす。 マイホーム投資用に中古マンションを購入。 |
2021年 | スカウト型転職エージェント”レイノス”という会社から2社ほどスカウトを受け、そのうちの1社から正式に内定を受け、転職をすることを決意。 |
ごくごく普通の凡人だった自分
私は静岡県浜松市で生まれ、親が離婚するまでは市内の中でも田舎の方で生活していましたが、まだ若かったため何不自由なく生活していました。
両親が離婚し、引っ越したところは新興住宅地で人がいっぱいいたのにはびっくりしましたね。
それまでは小学校に1学年に1クラスしか無かったので1学年に4クラスもあるのは当時衝撃的だったのを覚えてます。
中学校に上がるとヤンキーが増えて、当時遊んでいた友人のうちやんちゃな子たちもみんなヤンキーになっていき、ツルまなくなっていきました。
そんな底辺中学校だったので私も含めてみんなあんまりいい学校出てないなあって思っちゃいますね。やっぱり環境ってすごく大事です。
私の地元の友人は別にヤンキーでもないのにとにかく高卒、ブルーカラー、交代勤務が多いです。
私も例に漏れず将来のことを考えず、とりあえず勉強したくないからと言って工業高校を選びましたからね・・・
そして高校卒業とともに愛知県豊田市に引っ越して工場でブルーカラーの仕事をしていました。
運がよかったのはライン作業ではなく、実験部の試験をする部署に配属されたので空調の効いたところで作業ができたところですね。
入った会社は東証一部上場の某大手自動車メーカーのサプライヤーメーカーでしたので、
「高卒でよくそんな大手に入れたね。」
と親は喜んでいたのを覚えてます。
あとはただただ社員寮と会社の行き来の毎日で、なにも考えずにただただ働いていた期間が5年ほど続きましたね。
どうですか?ここまで読んでいただいてわかると思いますが、私は本当にただの凡人でございます。
ただ、凡人は何やっても駄目だということではなく、
何が自分が得意なのか?自分の強みは何か?
これが分かっていない人が凡人なのではないかと思うんです。
”選択と集中”が今思えば随所で見られる
私は”選択と集中”という言葉が好きで、特に今働き方がまさにこの考え方にシフトしていっていますよね。
ゼネラリストといわれる花の”総合職”よりも、何か一点に長けたスペシャリストの方が、
社員を雇うより請負として業務委託するほうがリスクが少なく、好都合だからでしょう。
私は人付き合いが苦手で、何か没頭することが見つかるとそれ以外手につかなくなる性格です。
うまくやれる人もいるでしょうが、私は結構顕著にそれが表れていたなあと自分を振り返るとつくづく思います。
これは元々短所として10年くらい前の採用面接のときとかも言ってた気がします。
でも好きなことにのめりこむって長所だと思えるようになったんですよね。
甲子園球児とか見ててもよくあんなに暑い中やれるなあって思いませんか?
でも彼らもイヤイヤやっているわけではなく、「野球」に全振りして集中してきたからこそあの場にいるわけで、没頭できるものが見つかるって人生の幸福点ではないでしょうか?
過去私が没頭していったものを振り返ってみます。
スマブラ64に没頭したとき
画像:任天堂
2011年くらいだったと思いますが、地元の友人にネトスマというものを紹介され、そこからハマりにハマりました。
エミュレーターといってPC上でニンテンドウ64が動かせるアプリケーションがあるんですが、そのエミュレーターを使って大人気ゲーム
大乱闘スマッシュブラザーズ
をネット対戦して全国の猛者と戦えるようにしたものです。
ネトスマ段位戦という有志の方が運営しているイベントがあり、それを当時ニコ生で配信していましたね。
初めてネトスマの動画を見たときは
「俺の知ってるスマブラと違う・・・」
って唖然としました。
特に高校~社会人1年目くらいまではスマブラのことしか考えてなかったくらいハマっていました。
好きなことって何時間やっても飽きなくて、対戦してなくても一人でずっとトレーニングモードでコンボ練習をしていました。
いまは没頭まではいきませんが、まだ全然好きなのでジモティーでスマブラ64オフ会を募ったり、ネトスマをしたりしています。
パチンコにハマったとき
ネトスマの次にハマったのはパチンコですね。
まだ最初は土日に友人と一緒に打ちに行くくらいで熱中というにはほど遠い感じの趣味の範疇でしたね。
趣味だろうが何も考えず打てばやはり負けるので収支が-50万円行ったときにはとうとうやばいと思うようになりました。
この時少しパチンコについて詳しい同僚に相談したところ「ゾーン狙いとか天井があるスロットを打ってみたら?」とアドバイスをもらい、
一緒に打ちに行くことになりました。
そしてその同僚からhttps://slotjin.com/のサイトを教えてもらい、パチンコ・パチスロで勝つには期待値を稼ぐ必要があると分かりました。
その日から私はスロットの島へ行き、このサイトを見ながら期待値のある台だけを打ついわゆる天井狙いをしだしたのです。
最初はなかなか目が出ず、本当にこれであってるのかな?と不安がどんどん募り、面白くないのに稼げないならやめようかと何度も思いました。
そもそも期待値のある台がなかなか落ちてないので打てる台数も少なく、試行回数が稼げていなかったことから、平日の仕事終わりにも稼働するようになりました。
すると試行回数が増えてどんどん収支がプラスになっていったのを覚えています。
もうこうなると私の思考は
とスロットのことで頭いっぱいになっていたのを覚えてます。
パチンコをしていて限界を感じたのが2017年とかそのくらいだったかなと思います。
規制で5.5号機とかに移行して出玉速度がめちゃくちゃ遅くなったので、仕事帰りに打つ兼業パチプロだと取り切れないこともあったし、
貯玉制限ができて1日に再プレイできる貯玉の限度額が500枚とかそんなもんになったんですよね。
ちょうどこの時等価レートのお店が規制でダメになったタイミングで貯玉制限ができたので、完全に詰んだ状態でしたね。
これらのことがあって、この当時ほかに稼げるものはないかと打ちながら探っていた時期でしたね。
資格試験へ挑んだとき
そんなとき、当時付き合っていた彼女から
「満月君てさ、FPみたい。向いてるんじゃない?」
といわれFPという仕事があることをその時初めて知ります。
ちなみに彼女には車を売った報告と車を売ることで得られる経済的利益と利便性損失の代替案を表にし、現状維持と車を手放すことの2パターンを熱弁していたのを覚えています(笑)
それからFPという仕事内容をググってすごく自分に合っている仕事だと認識しました。
昔からアンテナを張っているものがお金に関する情報だったので、お金に困っている人の手助けができてお金ももらえるならすごくいい仕事だなと思い、さっそくFP試験を取得することを目指しました。
ネットでググっても3級は簡単と書いてあって、時間もお金も無駄だなと思ったのでいきなり2級から申し込みしました。
資格試験もそうですが、生まれてこの方真面目に勉強した記憶がないので、勉強の仕方が分からず、最初テキスト見たときむっず~ってかんじでしたね。
FPの勉強していくうちにいろんなお金に関する情報をインプットしていき、世の中のほとんどの人がお金に対して不安に思っていることが分かり、その一番の理由は住宅の購入方法なのではないかと思うようになりました。
特に一番印象的だったのは米国と日本の住宅投資額累計と住宅資産額のグラフでしたね。
この図を見ていただくとアメリカは住宅の投資額が住宅資産額とほぼ一致しており、家を買うことが資産形成として十分に成り立っていることが分かります。
対して日本はというと住宅投資額は積みあがっているのに資産額は横ばいで、資産形成どころか家を買うことが浪費となる市場が形成されています。
この消えた投資額の分(約500兆円)がしっかりと家計に計上される市場だったら、日本人の生活ってもっと豊かだったんじゃないでしょうか?
そう思い不動産市場で資産形成としての住宅の購入の仕方をコンサルしていこうと思い、宅建士を取得して不動産会社への転職を決意しました。
自分のやりたいことが見えたときの私は強いです。
FPの試験が終わった5月からさっそく宅建士のテキストと過去問集を買い、10月の試験に向けてひたすら勉強をしました。
FP2級と違って難易度が上がったので結構しんどかったですが、こういう仕事がしたいと思ったら私の性格上、もう止まらんです。
通勤中ずっと宅建試験のアプリで過去問を解き、ちょっとしんどくなったらここの会社のHPを見て自分のやる気を奮い立たせてました。
この会社の考え方は非常に私の考え方と似ていて大変共感できます。
営業未経験という理由で採用面接落ちちゃいましたが(笑)
今はここに入るよりサイドFIREして独立したい気持ちのほうが強いので稼げる会社に転職することにしました。
こんなように私は自分のやりたいことや興味あることを見つけると、それ以外周りが見えなくなるくらい集中してしまいます。
こういう自分の特性というか性格を理解したので、何が好きなのかをしっかりと取捨選択し、決めたものは全力で取り組む”選択と集中”をモットーにしています。
これからの展望
過去を振り返り、何も持たない凡人だった私ですが、没頭できるものが過去何度も見つけられています。
そんな私が今没頭しているのはもちろんFIREの世界です。
どうしてFIREしたいかというともちろんお金や住宅購入で困っている方を救いたいからです。
特に不動産はいわゆる窓口(不動産会社に行くこと)でしか現状買うことはできません。(実際には個人間取引は宅建業免許も重要事項説明も不要ですので窓口じゃなくても買うことはできますが、そのプラットフォームがないのでメルカリのように個人間で不動産を購入できる市場にはなっていません)
しかし、窓口販売は不動産も金融商品もそうですがすべてとは言いませんが、ほとんどが情弱から搾取するための営業になってしまう欠陥構造の販売手法です。
窓口に来た人が求めてる商品が、ジェネリック医薬品のように類似商品がネットに安く出ていたとして、販売員はそれを伝えるでしょうか?
その商品のリスクを伝えたら買わなさそうなお客さんに果たして馬鹿正直に話す販売員がどれほどいるでしょうか?
でもこれらは仕方がないことなんです。
窓口を設けるには店舗のテナント料が必要ですし、窓口に来たお客様を丁重にもてなすために什器もそれなりのものを揃えないといけません。
受付嬢など雇っている社員にも給与を支払わないといけません。
つまりかけた経費を回収した上で利益も上乗せして売らないといけませんので、どうしても割高になるし、とにかく売らなきゃ話にならないのは当たり前のことなんです。
だから、不動産営業は多くの人が資産にならないと分かっていながら「資産になる」、「家賃はもったいない」と甘い言葉をささやくのです。
みんなその葛藤に苦しんでいると思うんですよね。
お客様をだましたくはないけど自身の生活と天秤にかけたら、そりゃ自身の生活のために泣く泣く売るためのポジショントークを言うってもんです。
だから、サイドFIREなんです。
生活する上での最低限度の生活費を資産収入から賄うことができれば、本業は自分のやりがいのために働くことができると思いました。
だって生活はすでに確保されているのですから自分の信念を曲げてまで売りつけようと思う必要がなくなるわけです。
これこそ労働からの開放ですよね。
自己表現のために働くのでいいと思った物件しか紹介しないし、そもそも自分の考え方に共感できないお客さんから別に買ってもらう必要もありません。
そういう生き方に本気であこがれるようになり、目標達成のために支出の最適化やブログで収益上げられるよう日々頑張っています。
もちろん完全FIREしたいですが、それ待ってたらどんどん歳重ねちゃうんで絶対に30代に引退したいんです!
でも慈善事業ではないので無償でコンサルはしません。
あくまで自己表現の方法として、こういう仕事をして社会貢献がしたいと思っているからです。
サービスの対価としてお金を支払ってもらって初めて「社会に認められた」と思うので、全然無料でやるつもりはないです。
これが今の私の将来の展望になります。
最後に
いかがでしたか?
もし私の考え方に少しでも共感できるなと思った方はぜひ以下のアドレスにメールくださればと思います。
こんな方とつながりたい。
- 愛知県在住の方
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こんな方はぜひお問い合わせフォームよりご連絡いただけると嬉しいです。
読んでくださってありがとうございます。